いじめられっこのその後の人生

幼稚園、小、中といじめを受けてきた人間がどう思い生きているのか、自分の人生を振り返りながら、整理して記録していきたいと思います。

いじめられっこの人生、小学生編

さて、小学2年生で近所に引っ越しをして学校も変わり、心機一転と僕はワクワクしていましたが、、結局の所は転校し2か月くらいでまたいじめに合うことになります。

 

僕のいじめは陰のいじめがメインです。小学校時代の半分は学校に行っていません。

いじめられっこと言っても一部の人からは仲良くさせてもらいましたので、行っては休んでを繰り返していました。

 

具体的ないじめの内容は典型的なものです、上履きを隠されたり、悪口をかかれた紙を机に入れられたり、後ろからえんぴつでつつかれたりです。一回給食の時間に女の子に橋で目の下を突かれた事がありましたが、当たり所が悪かったら失明していましたね。

 

陰のいじめは先生に見つかることも合えば、見つからないこともありました。

学校の先生というのはそうゆういじめ問題を学校内で処理しようとする傾向にあるので、生徒から直接親に言わない限りはいじめの内容は親には伝わらないものです。

それもそうです、手のかかる小学生や保護者の対応、教育委員会への報告など教師は多忙なのですから、そんな熱い心差しで熱心な教師など滅多にいるはずもないのです。

 

現に僕はいじめの内容は言わず、体温計をお湯で温めたり、病弱の振りをして学校を休んでいました。親にいじめを受けていると報告したのは小学6年生になってからでした。

 

小学校、中学校の学校生活なんて僕からしたら良い思い出のほうが限りなく少ないのですが、唯一財産になったのは10年以上の付き合いになる親友ができたことです。

小学校、中学校のとき僕が不登校で学校に行けてない時にたまに学校に行くと、いじめを知らない人は興味本位で何で休んでるの?と聞いてくるのですが、彼らだけは必用には聞かず、お前が話したい時は何でも聞くからっとだけ言って深く聞こうとはしませんでした。

友達だからこそ言いにくい事もあります、いじめの話をするのは彼らより劣っている気がしてしまう。対等じゃなくなってしまう気がする。

そんな僕に彼らはただ何も聞かず対等に寄り添って友達でいてくれました。

 

いじめを解決する方法は、信用できる大人や親に話すか、話しても解決しない場合や信頼できる大人がいない場合は自分自身でじっと耐えるか逃げるか戦うしかないのだと思います。

僕の親は良い人達だったので一生懸命になってくれましたが、それでも解決まではしませんでした。

 

僕は戦ってみたり、耐えてみたり、耐えきれない時は逃げたりして高校まではすごしていました。

 

とりあえず友達とゆうのは寄り添ってくれるだけで心が救われる、本当にありがたい財産なのだと思います。

 

こんな僕によくしてくれた友人、家族に恵まれた事に感謝を

いじめられっこの人生、小学生1年編

幼稚園も卒業し、小学生になる僕はピカピカのランドセルに気分がウキウキだった訳ですが、そんな気分もつかの間でした。

僕の人生でいじめが関係なくなるのは高校生からです。そんな高校も精神的に病んでいたので何ひとつ楽しい思い出はないのですが。。。

 

さて小学生になり、まず最初に壁になったのが登校斑でした!!

僕の登校斑には同じクラスのK君がいたのですが、彼は今思い出すとADHD(多動児

)でした、常に落ち着きがなく、すぐに癇癪をおこすのです。

そんな彼と登校するのですが、彼は背の順的に僕の後ろでした。そんな彼が僕に何をするのかと言うと、ランドセルをひっぱたり叩いたりしてくるわけです。

やめる様に注意すると癇癪を起こす訳ですから、手の付けようがありません。地獄の登校でしたね。またクラスも同じで机も隣だった事が何回かあったので授業中も大変でした。

大人の社会で例えるなら隣のデスクの人が常にバンバン机を蹴ってくるくらいのストレスです。

 

しかしそれ以外なら小学一年生では特に大変ないじめはなかったと思います(あまり記憶にないだけかもしれませんが)、ただ登校斑とそれと先生、教育委員会で問題になった程のイカれたスパルタ教師だったのが一番記憶にあることです。

幼稚園で先生に対してトラウマがある子の担任にそんな人しますかね、、、

小学一年生に反省文かかせたり、分度器ではたく人ですよ。。

 

そんなこんなで小学一年生の時も休んでは学校に行きの繰り返しでした。

このあと僕の家が引っ越す(近場の一軒家)ので転校することになるのですが、まあご察しの通りいじめにあっていきます。

 

あとがき、僕が成人になりその多動児であったK君は実家の自転車屋を継いでいたので、パンク修理の際に会ったことがあるのですが、立派な青年になっていましたよ。

彼の事は特に恨んでいません。彼も彼で多動って事で色々苦労していたのも聞いてましたし、彼に特に悪意がなかったからです。

悪意がなければ人を傷つけていいとゆう事にはならないのですが、、悪意のあるなしでは大きな違いがあるとおもうのです。

 

 

よく思う事

よく死にたいと思うけど、それは寄せては返す波のような思い。

死にたいとはよりよく生きたいと思う証。でも先が見えない、変わらない現状、変えられない空しい自分。

 

中学生の頃のいじめがひどく、洗浄脅迫、醜形恐怖、になってた頃、ほぼ誰とも関わりがなかった浪人時代などに比べたらその死にたいと思う気持ちも薄れてきてはいるが、

 

自分より大変な辛い人が溢れるくらいたくさんいる事も知っている、でも自分より良い楽な人生を送っている人がいるのも沢山いる事も知っている。

 

運や流れは確かにあるのだと思う。世の不平等が当たり前の中でたまに胸焼けする程気持ちが悪くなる。

こんなちっぽけで弱い自分はなんなのだろうか、生きている価値はあるのだろうか。

死ぬまでに見つけられるだろうか。

 

この空しい気持ちはどこに向かえばいいのだろう。探しても見つからない答えに翻弄されてきた今までの今日この頃。

幼稚園年長編

幼稚園年長になり、先生も優しく可愛い先生に変わり通園も出来るになっていた僕ですが。季節が秋の頃、ある女の子が引っ越してきて同じクラスになったことでまた通園拒否に僕はなりました。

 

その子は性格がきつく、暴力的でした。親からのしつけでうちの家系は人を傷つけてはいけないという事を強く言われていたので、やりかえさない僕は良い餌食でした。

 

よくそのこは陰で僕の色んなところを引っかいたり、つねったりしてきました。

相手は女の子ですから、僕はやり返せずに我慢していました。

そして、また小さいながらに男の子ですので、女の子にいじめられてるとは言えずにただ幼稚園に行きたくないとい伝え、また通園拒否になるのでした。

 

幼稚園生から性格は本当に様々で、生まれつき性格の悪い人は僕はいるのだと思います、

例えば町で見かけたホームレスに対し可哀想と泣く子もいれば、汚いと馬鹿にする子もいました。

 

この後、小学、中学ともいじめられていく訳ですが、小さい子供=可愛いなんて事はなくて、純粋な悪さとゆうのは本当に怖いもの、常識を知らない分、時に大人より残酷になることもあるのです。

夜行性が眠れない夜に考える事

小学生、中学生といじめを受けた影響で心に異常をきたしてからとゆうものすっかり夜行性になってしまいました。もう10年くらい不眠症なのですっかり朝日を拝む事にも慣れてしまったのです。

 

心理学的に夜行性の人は昼の生活に満足出来ない人が、それを取り戻そうとして夜遅くまで寝れなくなるそうです。

 

夜の誰もいない空間や静けさとゆうのは、太陽が上ってるうちに辛い思いをしている人からしたらとても居心地の良いものです。

 

でも、体的にも心的にも光の指す中で生き満足して夜を眠りたい。それが本心なのでしょう。

 

夜更けまで寝ないとゆうのは何らかの諦めも入り混じっているのかもしれません。

 

夢や希望、期待など持たない方が楽だし、持ってしまったら裏切られる。しかし持てないのなら持たなくていいのだと僕は思います。

今はまだその重みを持てないのなら、持てる日を待てば良いと。

 

ゆっくりと歩む事をやめなければいずれ、死ぬまでに持てたらいいな。。

 

そんな事を考える夜更け。外の空気がおいしい。

過去を振り返り~幼稚園年少編

幼稚園、小学校、中学校といじめを受けて筋金入りの不登校だった僕が、どのような人生を歩んで来たのかを振り返りながら、心の整理をする為に書いています。

 

まず、僕が不登校になったのは幼稚園からです。。

 

原因は幼稚園の先生。巨体で大きな(カビゴン)みたいな先生でした。

 

そのカビゴン先生は兄の世代までは優しく人気者の先生だったらしんですが、保護者からのクレームやらで心を病んでしまっていたのだそう(中学時代にいきなり謝罪の手紙が届いた)

 

そして僕の時代から心の病んだカビゴン先生は気に入らない生徒、目につく生徒を誰もいない部屋に連れて行きお仕置きとして軽くビンタをしたり、その子の泣きまねをして小馬鹿にしていました。

僕は少しヤンチャだったのでよくその標的にされたいました。

 

幼稚園生なので親に上手くそのことも伝えられず、泣きながら幼稚園に行くのを嫌がっていました。

 

しかし、あまりにも行きたがらないので、少しずつ休ませてもらえるようになりました。

 

休みが続くとそのカビゴン先生が花束を持って家にお見舞いに来ました。その先生も問題になるのを恐れていたのでしょう。

その先生が来るたび僕は机の下に隠れガタガタ震えていたのを今でも覚えています。

 

そんな年少期を過ごし年長になるころ、保護者の間でカビゴン先生の事が問題になり、休職へと追い込まれてしまったらしいのです。

 

そして年長へと上がった僕は星のカービーみたいな可愛く優しい先生のもと楽しく通園する分けだったのですが、ある幼女が引っ越してきたせいでまた通園拒否へとなるのでした。。

 

今思う事、、今成人になり思う事は幼稚園や保育園の先生はとても神経を使う重労働だと思います。クレーマー対応や保護者の細かい要望に応え、やんちゃな目の離せない子供にかこまれて。カビゴン先生も昔はとても優しく良い先生だったのだと思います

しかし、心が追いつめられた時に人は凶暴な別の人格が現れて、どうしようもない現状から逃げようとするのだと思うのです。

その人本来の姿ではないのだと考えたい今日この頃でした。。